2日目 ルクソール神殿
11:00 カルナック神殿から南へ3キロメートルの場所に建てられたルクソール神殿観光
参道の”ワンダラ”攻撃。 ”ワンダラ”は1ドルの意味ではなく”いらっしゃい””買ってください”の意味合いで、値段はわかりません、交渉次第だそうです。
ルクソール神殿はカルナック神殿の副殿で新王国時代18王朝のアメンヘテブ3世(BC1386~1349年頃)の治世時代に建設され、後に増築、塔門とオベリスクはラムセス2世(BC1314~1224年頃)によるものです。その後6世紀に至聖所前室の隣に教会が建てられ、又15世紀にラムセス2世の中庭にアブ・エル・ハジャージモスクが建造されました。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』神殿の構成
a. アメン神殿 (Temple of Amun) - アメンホテプ3世
b. アメンホテプ3世の中庭 (Sun court) - 第2中庭
c. 三柱神の聖舟祠堂 (Barque stop 〈トトメス3世とハトシェプスト〉 and Shrine of the Theban triade 〈ラムセス2世〉)
d. 列柱廊 (Colonnade) - ツタンカーメンとホルエムヘブ
e. ラムセス2世の中庭 (Great Court) - 第1中庭
f. キオスク (Kiosk) - シャバコ(シャバカ、Shabaka)
A. 至聖所 (Sanctuary of Amun) - アメンホテプ3世
B. 聖舟祠堂 (Barque shrine) - アメンホテプ3世とアレクサンドロス大王
C. 「誕生の間」 (“Birth room”) - (中心軸:第2前室)
D. ローマ時代の内陣 (Roman sanctuary) - 第1前室
E. 列柱室 (Hypostyl hall)
F. 第3塔門 (3rd pylon)
G. 大列柱廊 (Processional colonnade) - アメンホテプ3世
H. 第2塔門 (2nd pylon)
I. 第1塔門 (1st pylon) - ラムセス2世
K. オベリスク (Obelisks) - ラムセス2世
K.神殿正面入り口前にラムセス2世建設の高さ25mのオベリスクが建っています。エジプト王ムハンマド・アリが大時計のお礼として、1831年にフランスのルイ・フィリップ王に贈呈し、現在パリ・コンコルド広場にそびえているもう1本のオベリスクとペアをなしていました。遺跡に興味のないトルコ人総督がしたとはいえなんとももったいないお話ですね。本当に持っていくとは思わなかったそうですが、2本とも持っていかれないでよかったです。
ここに昔存在した巨像6体のうち、3体のみ残っていました。一つはラムセス2世の立像、他の2体は妻ネフェルタ王妃が足元にいる座像です。現在他の像は復元されたようです。
案内書にはラムセス像は3体しか残っていないと記されていますが、私が撮った写真には6体あるので調べてみるとこんなページを見つけました。
第1塔門にはラムセス2世とヒッタイト軍が東地中海の覇権を戦ったカデシュの戦いが描かれている。カデシュは現在シリアと言われている。
砂に埋もれたルクソール神殿 ダビッド・ロバーツが1838~9年に描いたもの。
e. ラムセス2世の中庭 (Great Court) - 第1中庭に続きます。ラムセス2世の巨大像が立ち並びますが、顔の部分が破壊されている像もあります。
大列柱廊入り口のラムセス2世の座像。
坐像の側面には、上下エジプトの統一図のレリーフがあります。それぞれの象徴のパピルスとロータス(蓮)をファラオが、引っ張り合っています。
書記の像?
G. 大列柱廊 (Processional colonnade)
高さ23m、開花式パピルス様式柱頭装飾の柱が14本並んだアメンヘテプ3世の大列柱廊。左右の壁にはオペトの祭りのレリーフがあり、入って右側には往き、左側には帰りの様子が描かれている。
入って右にツタンカーメン王とアンケセナーメン王妃像。ファラオとしては幼い感じですね。
b. アメンホテプ3世の中庭
合計64本のパピルス柱が立つ広場。柱の上部は花が閉じた蕾の状態(閉花式)で、大列柱廊の花が開いた状態(開花式)とは対照的。地中から発掘された。
中庭から大列柱廊を振り返る
柱の下部に、レリーフが残っていますが、こちらも、キリスト教徒によって傷つけられている部分が見受けられました。
アメンホテプ3世中庭を通り抜けると、コプト族の教会(キリスト教)跡がある.丸くぐり抜かれた壁や聖人がが華やかに残る。
破壊されたレリーフ
破壊されたレリーフ
すすの部分は消された跡。