ソレイユ・マミーのシニア旅ノート

自由気ままのシニア旅行備忘録

ナイル川クルーズとエジプト満喫8日間 カイロ到着、ルクソール着、東岸-カルナック神殿観光

 

2日目

 

4時半  到着予定4時55分より30分早くカイロに到着。

 

7時15分 カイロ発ルクソール

8時15分 ルクソール

 

9:00 カルナック神殿 

ビジターセンターでセキュリティーチェックを受けて

カルナック神殿は3区画に分かれている。最も壮大で見事なアメン神殿、それに続いてアネン神の妻ムゥト神殿、そして北の区域は戦いの神メンチュ神殿。2000年の歳月をかけ、何世代にも渡り、また王から王へと絶えることなく建てられていったものである。塔門、オベリスク、大広間、青銅などは大神殿内に各時代通じて、建て加えられていった。

アメン大神殿における主な建設工事は、テーベが統一された古代エジプトの首都になった第18王朝(紀元前1550-1295年[6])のうちに行われた。新たな建設は第19王朝(紀元前1295-1186年[6])のセティ1世(紀元前1294-1279年頃[6])やラムセス2世(紀元前1279-1213年頃[6])のもとで着工されたが、列柱室の建設もまた第18王朝の間に始まったと考えられる。出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

神殿までずっと歩いていきます。

f:id:soleilmamie:20200225153343j:plain

アメン大神殿の東西軸 (標記: フランス語)   中王国時代(前2055-1650年頃)  トトメス1世(前1504-1492年頃)  ハトシェプスト(前1473-1458年頃)  トトメス3世(前1479-1425年頃)  アメンホテプ3世(前1390-1352年頃)  ホルエムヘブ(前1323-1295年頃)  セティ1世-ラムセス2世(前1294-1213年頃)  セティ2世(前1200-1194年頃)  ラムセス3世(前1184-1153年頃)  第22王朝(前945-715年頃)  第25王朝(前747-656年)  ネクタネボ1世テオスネクタネボ2世英語版(前380-343年) 1. 第1塔門 2. 第2塔門 3. 第3塔門 4. 第4塔門 5. 第5塔門 6. 第6塔門 7. セティ2世の聖舟祠堂 8. タハルカ英語版キオスク 9. ラムセス3世神殿 10. 第22王朝の中庭 11. 大列柱室 12. トトメス1世のオベリスク 13. ハトシェプストのオベリスク 14. 第1周壁 15. 第2周壁 16. 第3周壁 17. 中王国時代の神殿遺構(中庭) 18. 至聖所 19. トトメス3世祝祭殿 20. 祖先の部屋 21. 東の祠堂

又セキュリティチェックです

 

第1塔門      牡羊頭のスフィンクスが並ぶ参道を通り

西端にある大アメン神殿から見学する。参道は第一塔門へと向かい、そして第一中庭へと通じる。

 

第1稲門の裏には 高い塔門を作るための足場の土塁が残っている。

 

ガイドのアムロが流暢な日本語で説明しています。

カルナック神殿のうちで最も有名かつ壮観なものは6000㎡に及ぶ大列柱ホールである。

天地創造の大地(原初の丘)に浮かんだパピルス)の湿原を表している

f:id:soleilmamie:20200219195004j:plain

列柱室には高窓があった。

アムン神の大司祭ビヌジェム1世の像、元来はラムセス2世の像として作られ、足元にはラムセス2世の王女ベントアンタ(もしくは王妃ネフェルタリ)の彫像が見られる

第3塔門と第4塔門の間(第4塔門入口[92])に立つトトメス1世のオベリスク 重さ5トン、高さ25mに及びアスワンから運ばれた桃色の花こう岩の一枚岩から作られたものである。オベリスクには、浮彫レリーフと碑文が彫られている。石切り場アスワンからナイル川下流への石の運搬の詳細もその中に描かれている。

第4塔門と第5塔門の間にあるハトシェプト女王のオベリスク

倒れたハトシェプスト女王のオベリスク

 スカラベの彫刻 この周りを回ると願いが叶うと観光客はグルグル。